導入
「興味がある」と、アンシェリークはシグネの家まで付いて行った。
シグネは特に気にする様子もなく、彼女を客人のように迎え入れた。
集落から離れた場所にある一階建ての平屋。それがシグネの家だった。
庭には使い古された農作器具が転がっており、
普段はそれらに囲まれて生活しているようだった。
しかし、家の奥に国宝級と思しき武器が何本か飾られているのを、
アンシェリークは見逃さなかった。だが、深くは追及しなかった。
シグネのほうも、アンシェリークのことをさほど意識している風ではなかった。
ただ、自宅に招き入れた以上、一人だけで無言で食事をとるわけにもいかない。
いつの間にか、二人は食卓を囲むようになっていた。
アンシェリークはその際、気になっていたことをいくつかシグネに尋ねた。
彼女がかつて英雄級の活躍をしていたと推し量るに十分な武勇伝が、
偉ぶることなく淡々と語られる。
それを聞くたび、アンシェリークの興味はますます深まっていった。
シグネも長い間、一人で仙人のような生活をしていたせいか、
彼女との共同生活を嫌がる様子はなかった。
ある日、アンシェリークはシグネの買い出しに同行した。
「自分も食事を分けてもらっているのだから」と、荷物持ちを買って出たのだ。
その帰り道、何もない広い荒野の下、二人は並んで歩いていた。
「静かだな……」
「ここは田舎だからな」
「アームストンの城下町は賑やかで、どうも好きになれない」
「ははは。私も城の生活が嫌でここに来たんだ」
広い空に浮かぶ雲の動きよりも、さらにゆっくりとした足取りで、
二人は時間の許すまま自宅へと向かっていた。
その時だった。
空が少し暗くなり、不気味な緑色に染まるのを肌で感じた。
シグネの表情が険しくなる。
「……何か来る」
「え?」
アンシェリークも遅れてその気配を察知した。
次の瞬間、遥か彼方からこちらへ向かって急接近する飛行体が見えた。
シグネは変わらぬ鋭い視線でその方向を睨み据えている。
その飛行体は、向こうの山から飛び立ってきたかのような速度で、二人の目の前へと降り立った。
明らかに集落の人間ではない。……異形だ。
緑のオーラを纏ったその異形は、静かに目を閉じている。
「な、何者だお前は!」
アンシェリークが気圧され、少し狼狽しながら声を荒らげた。
「あんた……ヴァイスパの奴だね」
シグネは表情を変えず、異形に問いかけた。
「……部下が世話になった」
静かに異形が答えると、二人の脳裏に、先日戦ったタウロスの姿がよぎった。
「なるほどね」
シグネが呟く。
「わ、私たちは何もしていないぞ! あいつが急に――」
言いかけるアンシェリークの前に、シグネが無言で手を伸ばして制した。
「黙れ」
異形が一言だけ放つと、あたりの空気が凍りついた。
「……タウロスの不覚は理解している。私はゼブブ。今日は別の目的で来た……」
ヒリつくような空気の中、地面の小石がふわりと浮き上がる。
シグネとアンシェリークは、肌を刺すような圧倒的オーラを感じていた。
「タウロスは魔族だ。その魔族と互角に戦う人族がいるというのなら、
確かめざるを得ない……そう思ってな」
シグネは不機嫌そうに眉をひそめた。
「そんなことを確かめるために、わざわざ来たのかい?」
ゼブブはシグネを見据えた。
「タウロスを打ち負かしたのは、お前か」
「どうも」
アンシェリークは、張り詰めた空気の中で二人を交互に見つめることしかできない。
「本来、このような真似はヴァイスパの掟で許されない。
私もどうかしているらしい。だが……目先に確認すべき対象があるのであれば……試そうではないか」
戦いの狼煙が上がるのを察し、アンシェリークが叫んだ。
「ま、待て! 一方的すぎるだろう! 私たちはただ出かけていただけだ!」
ゼブブはアンシェリークを値踏みするように睨んだ。
「お前も、それなりに鍛えてあるな。……いいだろう。理不尽だと感じるならば……二人で止めてみろ」
アンシェリークは呆然とした。もう、言葉が通じる状況ではない。
シグネは「やれやれ」と持っていた鍬を投げ捨て、腰の帯刀を抜き放って戦闘態勢に入った。
アンシェリークも慌てて腰の剣を抜く。
ゼブブは目を薄く開け、不敵に少しだけ笑った。
「ふ。ヴァイスパの掟が制定されてから幾年……こんなに心が躍るのは久しぶりだ……」
ゼブブの手元に、自身の身体よりも巨大な鎌が出現する。
それは波のようにゆらゆらと、不気味な軌跡を描いて躍った。
「見逃してはくれないようだね」
シグネは重心を下げ、全身に力を溜めた。
「シグネ! 私も加勢するぞ!」
アンシェリークは強く剣を握り直し、語気を強めた。
決着
ゼブブの鎌は、まるで蜃気楼のように残像を纏いながらシグネとアンシェリークに襲い掛かった。
ゼブブは二人を一瞥した後に、アンシェリーク目掛けて走り出す。
「アンシェ、気を付けろ!」
シグネが叫んだ。
「来い!」
ガキンッ!
アンシェリークはゼブブの鎌を二刀流で受け止めた。しかしその瞬間、アンシェリークの肩に鋭い斬撃が走る。
「がっ……!」
その衝撃に驚き、アンシェリークは後ろへ飛び退いた。
「アンシェ! 受けたらダメだ、距離を取りな! そいつの攻撃は目に見える刃の範囲と実際の攻撃範囲が違う!」
シグネの声の方へ、ゼブブがゆっくりと顔を向けた。ニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべて言い放つ。
「やはり……お前は良いな」
ドンッ!
ゼブブはアンシェリークへの興味を失ったかのように地面を蹴りつけ、シグネに突進した。
シグネはゼブブが横に振り抜いた鎌を見極めて大きく跳躍し、上空から剣を振り下ろした。
ガキンッ!
ゼブブの鎌の上から、シグネの剣が激しく叩きつけられる。
二人の衝突が激しい衝撃波を生み、周囲の空気を震わせた。
ゼブブがシグネの剣を弾くと、そのまま至近距離での凄まじい攻防へと突入した。
「人間……貴様はやはり、我らに近い実力を……!」
「っ……そりゃ、どうもっ!」
「むっ! ……むん! ……はっ!」
「うおりゃあッ! ……はっ!」
衝撃波を巻き起こす二人の応酬を、
少し離れた場所からアンシェリークは見つめることしかできなかった。
「すごい……」
ゼブブとシグネの戦いは、完全に互角の様相を呈していた。
ゼブブとシグネの消耗戦は続き、少しずつ空が薄暗くなっていった。
「はぁ……はぁ……。まさか、ここまでとはな」
ゼブブが忌々しげに呟いた。
「はぁ、はぁ……まいったね。
久々のガチ喧嘩で、こんな強いのが出てくるなんてさ……」
シグネも満身創痍になりながら、少し弱音を吐く。
アンシェリークは何度か加勢に入ろうとしたものの、
その都度ゼブブの苛烈な反撃を受けて弾き飛ばされていた。
「くそぉ……あまり力になれてない……!」
アンシェリークは自身の無力さに歯噛みした。
ゼブブが背筋を伸ばし、直立不動の状態でシグネに手をかざした。
「人間の戦士よ。上位魔族である私に、ここまで戦わせるとは思わなかった。
……私の本気を見せてやろう」
シグネは不敵に少し微笑んだ。
「へぇ。奇遇だね。……アタシも全力でやってやろうと、覚悟を決めたところさ」
「……冗談じゃないようだな」
ゼブブの全身から、邪悪で濃厚な緑色のオーラが噴き出し始める。
対するシグネも全身に力を込め、眩いオーラがその身体を覆っていく。
「いくぞ、人間の戦士シグネ」
ゼブブは両の手のひらから緑のオーラを放ち、それを鎌全体に纏わせた。
オーラを纏った鎌は、元の数倍もの巨大さに見える。
シグネは腰を深く落とし、すべてを賭ける表情を浮かべた。
「ふぅ……久しぶりだな、この技は」
ゼブブはこれまで以上のスピードで、濃密な残像を纏いながらシグネに襲い掛かった。
「これで終わりだ!」
死神と形容するにふさわしい巨大な鎌が、
シグネに向かって振り下ろされる。シグネは静かに目をつぶった。
ズゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオ……!
穏やかな農地のど真ん中に、暗緑色の衝撃が走り抜けた。
「シグネぇぇぇ!」
アンシェリークは吹き荒れる衝撃から背を向け、距離を取りながら叫んだ。
……。
……。
……。
やがて暗緑のオーラが霧散していく。
その中心で、シグネは確実にゼブブの鎌の実体を捉え、交差させた両腕で防御していた。
「な、なんだと……!?」
驚愕に目を見開くゼブブに、シグネは力強く笑い返した。
「あんたの力、少しもらったよ!」
「シグネエェ!」
アンシェリークは歓喜した。
シグネの両腕には、自らのオーラとゼブブの暗緑のオーラが渦巻いていた。
シグネはゼブブのオーラを自らの体内に取り込んでいたのだ。
「くらいな! 反天咆哮斬!!!!!!」
カッ! と視界が白く染まる。
シグネが繰り出した渾身の斬撃は、二つのオーラを凄まじい濁流となって放出し、
ゼブブの脇腹へと確実に命中した。
「があああああああああああああああああああああっ!」
ゼブブの巨体が遥か遠方へと吹き飛んでいく。
それを見届けたシグネは、その場に膝から崩れ落ちた。
前かがみになり、額を地面に落とす。
「シグネ!」
アンシェリークが駆け寄り、シグネの体を抱き起こした。「大丈夫か、シグネ!?」
「はぁ……はぁ……しばらく立てそうにないね。
相手のオーラを自分に取り込んだのは、何年ぶりかな……」
「すごいよ、シグネ」
「はぁ……そうかい」
「立てるか?」
「しばらくきついな」
「心配するな、私がおぶってやる」
「あいつは……?」
「流石にあの攻撃を受けては立てないだろう。姿も見えないな」
「そうか……」
「しかし凄いなお前は。最強じゃないか?」
「こんなボロボロなのに、何を言ってるんだい」
「まあ、後で話を聞かせてくれ……ぃ」
「?」
「うわぁぁぁぁぁっ!」
「ど、どうした、アンシェリーク!?」
突如、アンシェリークの周囲を不気味な暗緑のオーラが取り囲んだ。
「舐めるなよ……人間ふぜいが」
地獄の底から響くような声が聞こえてきた。
シグネが声のする方を向くと、そこには閻魔のごとき憤怒の表情で睨みつけるゼブブが立っていた。
「あああああああああああっ!」
アンシェリークが苦痛の叫び声をあげ、その場に崩れ落ちる。
「や、やめろゼブブ! 相手は私だ!」
ゼブブはアンシェリークにかざしていた手を、今度はシグネへと向ける。
「望むところだ……人間めがぁ!」
完全に我を忘れたゼブブが両の手のひらをシグネに突き出すと、シグネの体の自由が利かなくなった。
「浮かべ」
「うっ……!」
シグネは両手を大きく広げたまま痙攣し、そのまま宙へと浮き上がった。
「貴様は危険だ。ここで息の根を止める。人間が、魔族に勝つなどあってはならんのだ!!!!!」
「があああああああっ! あ、あがっ……うわあああああああッ!」
空中に縫い付けられた状態で、シグネは苦痛に顔を歪め、叫び続けた。
地面に倒れていたアンシェリークは、どうにか上半身を起こしてゼブブを睨みつける。
「ぜ、ゼブブッ……! やめてくれ! やめろぉぉぉ!」
「黙れ! 貴様も後で同じ目に合わせてやる! そこで、この騎士の最期を見届けろ!」
「うわああああああああああっ! (も、もうだめかも……)」
シグネが絶望に呑まれかけた、その時――空が割れた。
「……?」
ゼブブが怪訝そうに空を見上げる。割れた空の隙間から、一人の女が静かに舞い降りてきた。
シグネとアンシェリークは、薄れゆく意識の中で、力なくその光景を見上げていた。